僕は知っていたんだ。
そこへ牛が通るって。
でもあいつら、いっさい僕の話を聞いちゃいなくて
道のど真ん中に自分のリュックサックを置いて
どっかに逃げていった。
あいつら、ほんとなにやっているんだろう。
父さんがカメラをもって出てきた。
道の脇に三脚を広げてカメラをセットする。
なにをしているの?
アートだよ。父さんは、それだけ言った。
地面が振動する。
牛が来る。右から左へ向かって。道をまっすぐに。わき目を振らず。
リュックサックが忽然と置かれている。午後の光と砂の混じった空間の中に。
牛は知らない。
リュックサックは潰れた。腐った何かの死体のように、音もなく
牛に潰されてゆく。
どんどんどんどん
ついに、最後の一頭が去っていった。
父さんはカメラを確認する。
牛がリュックサックを踏んづけていった。
これがアート?父さんのアート?
そうだ。
父さんはカメラから離れて、リュックサックを見に行った。
弁当、林檎、本、パソコン、ミニカー、そのほかよくわからないものたちが、粉々になって散らばっていた。父さんは、慎重に写真を撮る。
文明はいつか終わるんだよ。父さんは言った。牛の力であっという間にね、と。
僕は、埃まみれでぐちゃぐちゃになった卵サンドを見つめた。
どうしてこれがアートなの?僕はまた訊ねる。
知ってもらうには、ある程度の衝撃が必要なんだよ。
父さんは、別の角度から写真を撮る。
残酷かね?だが、それがアートの本性だ。見る者も、作る者も、ゆさぶられ、引きちぎられ、四方八方に吹き飛ばされる。かと思うと、穏やかな水面に浮かんでいたということもある。
写真を取った。夕陽が、父さんを、残骸を照らす。
あるアーティストは、死んだ鮫を薬品付けにして展示した。
へえ、それで?と僕。
数十万人の人間がそれを見た。そして、それぞれ感じた。
それと卵サンドがつぶれること、関係あるの?
クッキーモンスターとクッキーはどうなんだ?あれも要するに、牛と卵サンドだ。クッキーモンスターは、それでも愛されている。
なんだか、腹が立ってきた。僕は、父さんを残して、陽の沈む方へ歩き出した。僕の家は、そっちに立っている。このためだけに借りた家。
父さんはまだ写真を撮っている。
潰れた食べ物の写真を撮っている。